【自己満】ポケモンカード15thとあゆみ
2011年10月26日 TCG全般 コメント (9)調子のって作文→ノベル調とかしていたらクソ長くなっていた。
チラ裏にも書ききれない量なので暇過ぎる方のみどーぞ。
ポケモンカードが発売されて15年も経つんですね。
今はポケモンポケモンやっていますが、色々な事がありました。
今日はちょっと長めに自分史的なものを。
最後はちょっとにわかノベル風に。
ポケカからポケカまで。
友達の家で友人のカードリッジを借りてポケットモンスターレッドを遊んでいました。
それがポケモンとの出会い。どうしてもポケモンが欲しかったのでたまごっちのカードリッジと交換してもらったっけ。
小1くらいの時、ポケモンカードをやらない?と兄貴に連れられて、夜の道をコンビ二まであるいて行ったのを今でも覚えています。
最近ではなくなってしまったけれど、新品のカードの匂い。あの開けた時の香りは懐かしい香り。
最初に出たのはリザードンでした。
当時は意識していませんでしたが、最初の3匹のポケモンの内、私はヒトカゲを選んでいて、マチスに負けたのが悔しくてディグダの穴でレベル70まであげてから挑んだら余裕でぶったおしてくれた当時最強の相方でした。
カードは兄貴にはいつもボコボコにされ、カードに限らず兄貴にはゲームで全く勝てない。
でも、とても楽しかった。
小3の頃にポケモン友達と呼べる親友ができて、いつも遊んでた。
小4で転校するのを知っていたけど、その前日でも遊びまくっていた。
小3あたりからは「ポケモンって子供っぽいじゃんww」な人達が繁殖し始め、カードは引退。
ゲームはポケモン友達とやってたかな。
5~6年前までは連絡とっていたかな。今頃どうしているだろう。
小5でまたいつも泊まりに行ったり来たりと遊びならなんでもござれな親友が出来て、その子とポケモンとベイブレードな日々。
ベイブレードはまだアニメ化などがされる前で、その子と毎日のように遊んでいた。
その子を混ぜて、兄貴が進めてきて始めたマジックザギャザリングを友達にも進めて9人くらいがギャザをやっていたかな。
家で大会を開いたり、公式大会?にも2回ほど参加した。
いっつもフジって人に勝てなくて、なんども挑んだけれど、1回も勝てなかったかな。
今思えば、当時コンボとか何も考えずにカードつっこんでいただけだった。
プレイもままならなかったのに兄貴が作ってくれたデッキでカードショップの常連を全滅さたのはいい思い出。
高校生とか中学生とかを小6の時に倒せると爽快。
兄貴が強いよ!お兄ちゃんすごいよ!とかなりお兄ちゃんっこだったので、v
「俺の兄貴のが強い」って人がやっぱり出てくるんですよね。
それを倒してくれた兄貴はめちゃくちゃかっこよかった。
後から聞いた話じゃ、ギャザの公式の地区ランクで関東で2位だったみたい。そりゃつえーわ。
兄貴の友人もプロツアー参加者で大学入試とかぶって入試を蹴って1浪してプロツアーに参加した猛者。
なんだかんだでポケモン友達な親友も一緒にギャザをやっていたが、小6の夏の日。
それっぽい予兆はあったのか、彼の家は空き家になっていた。
色々事情は後から知ったけど、夜逃げだった。
ここでポケモン友達を失う。
ルビーだかサファイアだかもこの前後で出たけど、「ポケモンって子供っぽいry」な人達が復帰してやっていたけれど。
ギャザは中1後半あたりからだんだんと人が減って、気づいたらやめていたかな。
やっていた時期は仮面みたいなマーク→レジェンド→日本を舞台にした段の手前くらいまで。
なんだかんだでポケモンカードは初代→ジムリーダー拡張パックの手前くらいまで。
って感じだったかな。
色々なゲームを沢山やっていて、いつも兄貴に勝てなくて、友達間でも中堅くらい。
ゲームは基本的に苦手というか弱かった。
中1くらいでモンハンと出会う。それからmhp2まで全作品プレイしていたが割愛。
中3か高1くらいの時にトルコという友達とポケモンカードを少しプレイ。
コンボとか頑張って考えて作ったデッキは悪いマルマイン悪いカイリューの悪エネブースト。ドッキリタイムマシンで加速みたいなことしていた。
トルコはゲームを買いあさっている子で、結局少しコンボ考えただけのデッキで勝ててしまうので、私もそこそこ強くなったのかな、と勝手に勘違いしていた。
大会に参加してみた。
進んだ対戦に応じてヒトカゲのバッチやリザードンのバッチがもらえる大会だったかな。
初めて見るカードばかりでマッハサーチピジョット、不思議なアメやミツルの育成?を前に「ぼくのさいきょうでっき」は手も足もでなかった。
その後、対戦していただいた方に不思議なアメなどのデッキとして必須カードを交換してもらった。
が、すぐに引退していたかな。トルコさん私に勝てなくて飽きちゃったんだもの。
高2の時、モンハンを触っていたくらいでゲームの量はかなり減っていた。
携帯電話のアプリケーションにとても興味を持ち始めて、携帯サイト運営、携帯アプリの勉強を始めた。
高3ではほぼゲームを引退状態。携帯ゲームとFlashの開発に勤しみ、雑誌掲載+ハードユーザーには分かる某システムの開発に携わった。
一般向けには出なかったが、Flashに対応した機種ならキャリア間を無視した、リロードを押す必要の無いチャットシステムの基礎を作る。
このプログラムに没頭する日々が続いたおかげで論理的思考力がとてもあがった。
こうしたいああしたいこれいれたいと楽しむ事を考えるだけではなく、
何故負けるのか? こうした場合、相手はどうするのか?など順序だてて物事を考えるようになった。
しかしゲームはやるものでなく作るものになっていた。
プログラムの勉強をするために、Flashの研究をしているという大学へ合格。
大学が始まる時期まで学校が休みが多いのもあり、スマブラXに手をつける。
プレイ時間と研究とど根性でネット中堅までのぼりつめた。今までゲームが下手糞だったのに、初めて人に勝てるゲームが出来た。
使用キャラはルカリオ。結局ポケモン。
そして大学へ入学。
これが人生の転機。
1年の頃からゼミに参加させてもらっていたが、4年生の卒業制作が"おままごと"にしか見えなかった。
モバイルのシステムやプログラミングのスキル等がとてもひどく、IT系の大学なのに、ITパスポートを学年で受験したら、合格率が5%にみたなかった(4択問題60%以上合格)
つまり、大馬鹿大学なのである。
授業中もゲームやっている人が50%、話題もゲームばかり、食堂はモンハンの集会所だった。
ここで勉強が出来る、プログラムが出来るというのは"すごい"事ではなく、ゲームが出来る事がすごい事だった。
完全にゲームに明け暮れる日々が始まった。
1年時、先輩含めてスマブラうまいよ!と豪語する方を殲滅。
ポケモンもネット対戦可能なDPt時代に突入していたので、平行してプレイ。
1年次の後半にいつもつるんでいたグループのあまり話した事なかった人が「スマブラ得意だぜ」といっていたので難なく勝ち。
ものすごく悔しがり、何度かやったがすべて圧勝だった。
これがヒロキとの出会い。
2年に突入。ここで一人暮らしを始める。学校で遊び、終わったら家でみんなで遊ぶ日々。本当に楽しかった。
ある日、ヒロキが一緒にスマブラやろうぜ!と誘ってきた。倒すつもりで対戦。
フルボッコにできず、激戦の末なんとか勝ち。
どうやら、負けた事が悔しく、Wiiとスマブラを買って練習したらしい。
しかし、練習量では負けず、アイクvsルカリオの試合を毎日のようにしていた。
最終的にはほとんど勝てなくなったが、お互いにかなりスキルアップしていた。
ヒロキと聞けばアイク使い上位勢だった人は耳にしたことがあると思うが、全国5本指に入るくらいのあのヒロキさんである。
あいつミラーしかネットやらなかったから知名度低めだけど。
全1、全2を相手にするアイクミラーの試合はよく見たけど、物凄く面白かった。
ヒロキはブレイブルー、ギルティのゲーセン勢で、所謂ずっと格ゲーに生きてきた人だったらしい。
彼と一緒にスマブラした日々で学んだ事は
”負けて悔しい人は上達する”
”反射神経を必要とするものは最後は勝てない”
”対人ゲームは研究すれば誰でも強くなれる”
ポケモンもそこそこ鍛え、挑んできた友人を全滅。
俺つよいよ!と話す人がいれば、顔しらない人でも対戦してみて討伐
スマブラの話題が出ればヒロキと2人で討伐
ポケモンでやられた人が、自分より強い先輩と対戦してみろし!とつれてきた先輩を討伐
友達の友達まで含めてポケモン、スマブラは大学内で勝ちまくっていた
ポケモン→40勝以上0敗
スマブラ→100勝以上1敗(ヒロキを除く)
元々ゲームがうまいわけではないが、プレイ時間と研究量とど根性で戦い抜いた。
そしてポケモンBWが発売。スマブラはマンネリ化してきていたので2人して引退してしまった。
2人で残した戦績は
ポケモン、ブレイブルー、スマブラX、スマブラDX、ギルティギア、ガンダムvsガンダムという分野で大学内完全勝利(他学科他学年院生含)。
1人だけ勝てなかった人いたけれど、そいつ以外ではぷよぷよも勝利。
学校でBWブームが起き、物凄く自称ガチ勢が増えた。全部倒した。
そんな事をしている内に、「あいつとは対戦したくない」というガチ勢も出てきた。
そもそも相手にならず、相手にもしてもらえなくなってきたのでBWではレート戦に参戦。
到達レートは1950くらい。最高順位は2位。
オフ会にも参加するようになるが、ポケモンオフ勢で大嫌いな人が出来、ネットは切断が多く、萎えてしまい、ほとんどやらなくなってしまった。
"うちの大学はやりこむやりこむといっても程度がしれて、雑魚ばかり、国際孵化で色違い粘ってすぐあきらめるし、
結局強くならない。マイナー厨が敗因と勘違いしているだけで自分が弱い、やらないと気づかないだけの集まり"
と近寄りがたい毒舌厨でした。な
まあ、俺つえーと豪語していた人を倒すと”ガチきもい”とか負けると本気でやっている人を馬鹿にしてくる輩が多かったのが原因ですけれど。
そいで今の彼女さんが出来る。
ポケモン好きな事がすごくうれしかった。
ポケモンの事はなしていて、
「国際孵化しているんだぁ」
「国際孵化とか出なくてどうせすぐ飽きるからやめておいたら?」←毒舌モード
「ん?もう何匹か色違い引いているよ?」
累計1万個近く孵化していました。
BWも発売してすぐ国際孵化を始めてタブンネさんの色違い引いていたかな。
その辺も仲良くなっていった要素の一つで、どんどん仲良くなって行き、今ではラブラブです。
けるびんが爆発しました。
大学で遊びまくり、3年で就職も間近になってきて、もう遊びが終わりという事実と
"馬鹿馬鹿といってきたこいつらと同じ学歴なのか"
というのがいやになり、資格をとるために別の学校へダブルスクールする事を決意。
そして今年、大学4年と専門学校1年のダブルスクール生徒です。
一人暮らしが終了して自宅へ戻る。
スマブラ、ポケモン、ぷよぷよのなんちゃってガチ勢を経験してきていて、他のゲームを友達とやる気が一切おきてこなかった。
どうしてもゆとり世代で同じゲームやりこまないんですよね。そいで自分が弱いと気づかず、ゲームや他のせいにする。
専門学校でも予想通り、そんな人ばかりでした。
ポケモンはニコ生していて、調整も少ししているみたいだけど、話聞く感じ ああそのくらいかってイメージ
いつも一緒に遊んでいたヒロキとも遊ぶ機会が減り、”ガチで遊ぶ”事がなくなってしまった。
ネットでやるものいいんだけれど、ヒロキと遊んだ日々が凄く楽しかった。
本気でやっている人がリア友って幸せなんだよ。
面と向かってやると盛り上がって騒げるじゃん。
一緒に場を共有して戦えば楽しめるじゃん。
ネットだと結局静かなんだよ。寂しいじゃん。
ハマると思いっきり研究したくなる。研究すると学校の友達は弱すぎて弱いものいじめになってしまう。
(ここから文調変わるよ!痛くみえるかもよ!)
ヒロキがいつも行っていた。
”ゲーセン勢は金かかっているし、面と向かっているから本気。みんなが勝ちに来ている”
”ゲーセンの友達もいる。常連もいる。大会もある。ゲームはオフはぬるくてオンが本気。ただし格ゲーはオンがぬるくてゲーセンが本気だ”
自分もゲーセンに行けば出会えるかもしれない。
”本気で戦う人”
”場を共有して騒げる”
”常連がいる”
遊べる期間が3年延長された時間を、学生の権力を使って最後に何か本気でやろうって。
しかし、アクションは自分は苦手。限界がある。
考えることならまだ得意。考えて、場を共有できるもの。
ふと、昔、ギャザを使ってカードショップを全滅させた事を思い出す。
カードも、ゲーセンの様に強い人が集まるんじゃないか?
不正する人の多さ、大会の大きさ、ルールが自分で納得いくのか?
カードにかかる値段、カードの柄がすきか?
全てを評価して消去法で減らし、残ったカードゲームが1つだけあった。
15年前、兄貴と2人で夜中買いに行ったカードゲーム。
2人の親友と友に遊んだ思い出のゲーム。
「ポケモンカード」
昔、箱の中から出てきたリザードンのカード。
昔、本気で考察出来なかったゲーム。
これを今の自分が本気でやったらどこまでいけるのだろう?
通学路にあるカードショップに今年の5月に顔を出す。
「ポケモンカードに興味あるんですか? あ、うちでは毎日ポケモンカードの公式大会やっているんですよ。よかったら参加していってください」
エプロン姿にめがねを掛けた少し天パがかった小さめの店員さんに声をかけられる。
「うちに平日はあまり子供は来ないんです。社会人や大学生が帰りに集まるんですよ。千葉県で3位になった方とかも常連です。」
ここはポケモンカードの聖地。
全国で最も公式大会を開く場所。
ああ、ここが自分のくるべき場所だったのかなって。
本気で挑める目標がある。対戦相手がいる。
あの頃やっていたモノを本気で出来る。
一緒に戦える友人がまた出来るかもしれない。
拡張パックを開けると、そこにはバクフーンGrの姿。
たねぱぱさんのブログを丸パクリしたレシバクを持ち、翌日ジムチャレへと向かう。
「店員さん、ジムチャレ参加します!今日が初めてなんですよー」
まだ動かした事の無いデッキ。
何年も前にやったポケモンカードを再開した日。
初めての第1歩を踏み出す日。
「あれ?ポケモンカード初めてなんですか?」
後ろから掛けられる新たな声。
「実は僕も先週始めたんですよ。」
黒縁メガネから覗く垂れた目、ラフなシャツ、色白な肌。
この人柄の良さそうな青年は笑顔で続ける。
「けるびんって言います。よろしく」
これが後に、『鋼のびんびん』と呼ばれる青年である。
「あ、自分は『しばまた』っていいます。」
その数ヵ月後、ポケモンカードが15thを迎える。
おしまい
チラ裏にも書ききれない量なので暇過ぎる方のみどーぞ。
ポケモンカードが発売されて15年も経つんですね。
今はポケモンポケモンやっていますが、色々な事がありました。
今日はちょっと長めに自分史的なものを。
最後はちょっとにわかノベル風に。
ポケカからポケカまで。
友達の家で友人のカードリッジを借りてポケットモンスターレッドを遊んでいました。
それがポケモンとの出会い。どうしてもポケモンが欲しかったのでたまごっちのカードリッジと交換してもらったっけ。
小1くらいの時、ポケモンカードをやらない?と兄貴に連れられて、夜の道をコンビ二まであるいて行ったのを今でも覚えています。
最近ではなくなってしまったけれど、新品のカードの匂い。あの開けた時の香りは懐かしい香り。
最初に出たのはリザードンでした。
当時は意識していませんでしたが、最初の3匹のポケモンの内、私はヒトカゲを選んでいて、マチスに負けたのが悔しくてディグダの穴でレベル70まであげてから挑んだら余裕でぶったおしてくれた当時最強の相方でした。
カードは兄貴にはいつもボコボコにされ、カードに限らず兄貴にはゲームで全く勝てない。
でも、とても楽しかった。
小3の頃にポケモン友達と呼べる親友ができて、いつも遊んでた。
小4で転校するのを知っていたけど、その前日でも遊びまくっていた。
小3あたりからは「ポケモンって子供っぽいじゃんww」な人達が繁殖し始め、カードは引退。
ゲームはポケモン友達とやってたかな。
5~6年前までは連絡とっていたかな。今頃どうしているだろう。
小5でまたいつも泊まりに行ったり来たりと遊びならなんでもござれな親友が出来て、その子とポケモンとベイブレードな日々。
ベイブレードはまだアニメ化などがされる前で、その子と毎日のように遊んでいた。
その子を混ぜて、兄貴が進めてきて始めたマジックザギャザリングを友達にも進めて9人くらいがギャザをやっていたかな。
家で大会を開いたり、公式大会?にも2回ほど参加した。
いっつもフジって人に勝てなくて、なんども挑んだけれど、1回も勝てなかったかな。
今思えば、当時コンボとか何も考えずにカードつっこんでいただけだった。
プレイもままならなかったのに兄貴が作ってくれたデッキでカードショップの常連を全滅さたのはいい思い出。
高校生とか中学生とかを小6の時に倒せると爽快。
兄貴が強いよ!お兄ちゃんすごいよ!とかなりお兄ちゃんっこだったので、v
「俺の兄貴のが強い」って人がやっぱり出てくるんですよね。
それを倒してくれた兄貴はめちゃくちゃかっこよかった。
後から聞いた話じゃ、ギャザの公式の地区ランクで関東で2位だったみたい。そりゃつえーわ。
兄貴の友人もプロツアー参加者で大学入試とかぶって入試を蹴って1浪してプロツアーに参加した猛者。
なんだかんだでポケモン友達な親友も一緒にギャザをやっていたが、小6の夏の日。
それっぽい予兆はあったのか、彼の家は空き家になっていた。
色々事情は後から知ったけど、夜逃げだった。
ここでポケモン友達を失う。
ルビーだかサファイアだかもこの前後で出たけど、「ポケモンって子供っぽいry」な人達が復帰してやっていたけれど。
ギャザは中1後半あたりからだんだんと人が減って、気づいたらやめていたかな。
やっていた時期は仮面みたいなマーク→レジェンド→日本を舞台にした段の手前くらいまで。
なんだかんだでポケモンカードは初代→ジムリーダー拡張パックの手前くらいまで。
って感じだったかな。
色々なゲームを沢山やっていて、いつも兄貴に勝てなくて、友達間でも中堅くらい。
ゲームは基本的に苦手というか弱かった。
中1くらいでモンハンと出会う。それからmhp2まで全作品プレイしていたが割愛。
中3か高1くらいの時にトルコという友達とポケモンカードを少しプレイ。
コンボとか頑張って考えて作ったデッキは悪いマルマイン悪いカイリューの悪エネブースト。ドッキリタイムマシンで加速みたいなことしていた。
トルコはゲームを買いあさっている子で、結局少しコンボ考えただけのデッキで勝ててしまうので、私もそこそこ強くなったのかな、と勝手に勘違いしていた。
大会に参加してみた。
進んだ対戦に応じてヒトカゲのバッチやリザードンのバッチがもらえる大会だったかな。
初めて見るカードばかりでマッハサーチピジョット、不思議なアメやミツルの育成?を前に「ぼくのさいきょうでっき」は手も足もでなかった。
その後、対戦していただいた方に不思議なアメなどのデッキとして必須カードを交換してもらった。
が、すぐに引退していたかな。トルコさん私に勝てなくて飽きちゃったんだもの。
高2の時、モンハンを触っていたくらいでゲームの量はかなり減っていた。
携帯電話のアプリケーションにとても興味を持ち始めて、携帯サイト運営、携帯アプリの勉強を始めた。
高3ではほぼゲームを引退状態。携帯ゲームとFlashの開発に勤しみ、雑誌掲載+ハードユーザーには分かる某システムの開発に携わった。
一般向けには出なかったが、Flashに対応した機種ならキャリア間を無視した、リロードを押す必要の無いチャットシステムの基礎を作る。
このプログラムに没頭する日々が続いたおかげで論理的思考力がとてもあがった。
こうしたいああしたいこれいれたいと楽しむ事を考えるだけではなく、
何故負けるのか? こうした場合、相手はどうするのか?など順序だてて物事を考えるようになった。
しかしゲームはやるものでなく作るものになっていた。
プログラムの勉強をするために、Flashの研究をしているという大学へ合格。
大学が始まる時期まで学校が休みが多いのもあり、スマブラXに手をつける。
プレイ時間と研究とど根性でネット中堅までのぼりつめた。今までゲームが下手糞だったのに、初めて人に勝てるゲームが出来た。
使用キャラはルカリオ。結局ポケモン。
そして大学へ入学。
これが人生の転機。
1年の頃からゼミに参加させてもらっていたが、4年生の卒業制作が"おままごと"にしか見えなかった。
モバイルのシステムやプログラミングのスキル等がとてもひどく、IT系の大学なのに、ITパスポートを学年で受験したら、合格率が5%にみたなかった(4択問題60%以上合格)
つまり、大馬鹿大学なのである。
授業中もゲームやっている人が50%、話題もゲームばかり、食堂はモンハンの集会所だった。
ここで勉強が出来る、プログラムが出来るというのは"すごい"事ではなく、ゲームが出来る事がすごい事だった。
完全にゲームに明け暮れる日々が始まった。
1年時、先輩含めてスマブラうまいよ!と豪語する方を殲滅。
ポケモンもネット対戦可能なDPt時代に突入していたので、平行してプレイ。
1年次の後半にいつもつるんでいたグループのあまり話した事なかった人が「スマブラ得意だぜ」といっていたので難なく勝ち。
ものすごく悔しがり、何度かやったがすべて圧勝だった。
これがヒロキとの出会い。
2年に突入。ここで一人暮らしを始める。学校で遊び、終わったら家でみんなで遊ぶ日々。本当に楽しかった。
ある日、ヒロキが一緒にスマブラやろうぜ!と誘ってきた。倒すつもりで対戦。
フルボッコにできず、激戦の末なんとか勝ち。
どうやら、負けた事が悔しく、Wiiとスマブラを買って練習したらしい。
しかし、練習量では負けず、アイクvsルカリオの試合を毎日のようにしていた。
最終的にはほとんど勝てなくなったが、お互いにかなりスキルアップしていた。
ヒロキと聞けばアイク使い上位勢だった人は耳にしたことがあると思うが、全国5本指に入るくらいのあのヒロキさんである。
あいつミラーしかネットやらなかったから知名度低めだけど。
全1、全2を相手にするアイクミラーの試合はよく見たけど、物凄く面白かった。
ヒロキはブレイブルー、ギルティのゲーセン勢で、所謂ずっと格ゲーに生きてきた人だったらしい。
彼と一緒にスマブラした日々で学んだ事は
”負けて悔しい人は上達する”
”反射神経を必要とするものは最後は勝てない”
”対人ゲームは研究すれば誰でも強くなれる”
ポケモンもそこそこ鍛え、挑んできた友人を全滅。
俺つよいよ!と話す人がいれば、顔しらない人でも対戦してみて討伐
スマブラの話題が出ればヒロキと2人で討伐
ポケモンでやられた人が、自分より強い先輩と対戦してみろし!とつれてきた先輩を討伐
友達の友達まで含めてポケモン、スマブラは大学内で勝ちまくっていた
ポケモン→40勝以上0敗
スマブラ→100勝以上1敗(ヒロキを除く)
元々ゲームがうまいわけではないが、プレイ時間と研究量とど根性で戦い抜いた。
そしてポケモンBWが発売。スマブラはマンネリ化してきていたので2人して引退してしまった。
2人で残した戦績は
ポケモン、ブレイブルー、スマブラX、スマブラDX、ギルティギア、ガンダムvsガンダムという分野で大学内完全勝利(他学科他学年院生含)。
1人だけ勝てなかった人いたけれど、そいつ以外ではぷよぷよも勝利。
学校でBWブームが起き、物凄く自称ガチ勢が増えた。全部倒した。
そんな事をしている内に、「あいつとは対戦したくない」というガチ勢も出てきた。
そもそも相手にならず、相手にもしてもらえなくなってきたのでBWではレート戦に参戦。
到達レートは1950くらい。最高順位は2位。
オフ会にも参加するようになるが、ポケモンオフ勢で大嫌いな人が出来、ネットは切断が多く、萎えてしまい、ほとんどやらなくなってしまった。
"うちの大学はやりこむやりこむといっても程度がしれて、雑魚ばかり、国際孵化で色違い粘ってすぐあきらめるし、
結局強くならない。マイナー厨が敗因と勘違いしているだけで自分が弱い、やらないと気づかないだけの集まり"
と近寄りがたい毒舌厨でした。な
まあ、俺つえーと豪語していた人を倒すと”ガチきもい”とか負けると本気でやっている人を馬鹿にしてくる輩が多かったのが原因ですけれど。
そいで今の彼女さんが出来る。
ポケモン好きな事がすごくうれしかった。
ポケモンの事はなしていて、
「国際孵化しているんだぁ」
「国際孵化とか出なくてどうせすぐ飽きるからやめておいたら?」←毒舌モード
「ん?もう何匹か色違い引いているよ?」
累計1万個近く孵化していました。
BWも発売してすぐ国際孵化を始めてタブンネさんの色違い引いていたかな。
その辺も仲良くなっていった要素の一つで、どんどん仲良くなって行き、今ではラブラブです。
けるびんが爆発しました。
大学で遊びまくり、3年で就職も間近になってきて、もう遊びが終わりという事実と
"馬鹿馬鹿といってきたこいつらと同じ学歴なのか"
というのがいやになり、資格をとるために別の学校へダブルスクールする事を決意。
そして今年、大学4年と専門学校1年のダブルスクール生徒です。
一人暮らしが終了して自宅へ戻る。
スマブラ、ポケモン、ぷよぷよのなんちゃってガチ勢を経験してきていて、他のゲームを友達とやる気が一切おきてこなかった。
どうしてもゆとり世代で同じゲームやりこまないんですよね。そいで自分が弱いと気づかず、ゲームや他のせいにする。
専門学校でも予想通り、そんな人ばかりでした。
ポケモンはニコ生していて、調整も少ししているみたいだけど、話聞く感じ ああそのくらいかってイメージ
いつも一緒に遊んでいたヒロキとも遊ぶ機会が減り、”ガチで遊ぶ”事がなくなってしまった。
ネットでやるものいいんだけれど、ヒロキと遊んだ日々が凄く楽しかった。
本気でやっている人がリア友って幸せなんだよ。
面と向かってやると盛り上がって騒げるじゃん。
一緒に場を共有して戦えば楽しめるじゃん。
ネットだと結局静かなんだよ。寂しいじゃん。
ハマると思いっきり研究したくなる。研究すると学校の友達は弱すぎて弱いものいじめになってしまう。
(ここから文調変わるよ!痛くみえるかもよ!)
ヒロキがいつも行っていた。
”ゲーセン勢は金かかっているし、面と向かっているから本気。みんなが勝ちに来ている”
”ゲーセンの友達もいる。常連もいる。大会もある。ゲームはオフはぬるくてオンが本気。ただし格ゲーはオンがぬるくてゲーセンが本気だ”
自分もゲーセンに行けば出会えるかもしれない。
”本気で戦う人”
”場を共有して騒げる”
”常連がいる”
遊べる期間が3年延長された時間を、学生の権力を使って最後に何か本気でやろうって。
しかし、アクションは自分は苦手。限界がある。
考えることならまだ得意。考えて、場を共有できるもの。
ふと、昔、ギャザを使ってカードショップを全滅させた事を思い出す。
カードも、ゲーセンの様に強い人が集まるんじゃないか?
不正する人の多さ、大会の大きさ、ルールが自分で納得いくのか?
カードにかかる値段、カードの柄がすきか?
全てを評価して消去法で減らし、残ったカードゲームが1つだけあった。
15年前、兄貴と2人で夜中買いに行ったカードゲーム。
2人の親友と友に遊んだ思い出のゲーム。
「ポケモンカード」
昔、箱の中から出てきたリザードンのカード。
昔、本気で考察出来なかったゲーム。
これを今の自分が本気でやったらどこまでいけるのだろう?
通学路にあるカードショップに今年の5月に顔を出す。
「ポケモンカードに興味あるんですか? あ、うちでは毎日ポケモンカードの公式大会やっているんですよ。よかったら参加していってください」
エプロン姿にめがねを掛けた少し天パがかった小さめの店員さんに声をかけられる。
「うちに平日はあまり子供は来ないんです。社会人や大学生が帰りに集まるんですよ。千葉県で3位になった方とかも常連です。」
ここはポケモンカードの聖地。
全国で最も公式大会を開く場所。
ああ、ここが自分のくるべき場所だったのかなって。
本気で挑める目標がある。対戦相手がいる。
あの頃やっていたモノを本気で出来る。
一緒に戦える友人がまた出来るかもしれない。
拡張パックを開けると、そこにはバクフーンGrの姿。
たねぱぱさんのブログを丸パクリしたレシバクを持ち、翌日ジムチャレへと向かう。
「店員さん、ジムチャレ参加します!今日が初めてなんですよー」
まだ動かした事の無いデッキ。
何年も前にやったポケモンカードを再開した日。
初めての第1歩を踏み出す日。
「あれ?ポケモンカード初めてなんですか?」
後ろから掛けられる新たな声。
「実は僕も先週始めたんですよ。」
黒縁メガネから覗く垂れた目、ラフなシャツ、色白な肌。
この人柄の良さそうな青年は笑顔で続ける。
「けるびんって言います。よろしく」
これが後に、『鋼のびんびん』と呼ばれる青年である。
「あ、自分は『しばまた』っていいます。」
その数ヵ月後、ポケモンカードが15thを迎える。
おしまい
コメント
千葉3位の常連だったら、私のことかもしれないですね。
準決勝で負けてます。
ミュウツー無しなら…
来年はみんな大会で結果を残せるように頑張ろう!
続きは書かないよ!元気も技術もないよ!
>>アサノさん
あれ修正しときまs
たしか最初の1~2試合はアサノさん大事故が起きていてあっけなく勝っちゃうんですよね。
それ以降は勝率2割くらい
>>HKさん
たしかHKさんとの試合も初手ピチューオンリーでプラパ逆鱗で倒しちゃって、その後再戦申し込まれたらデッキに感動しましたネ
ばけもんかと思いました。
>>kazuさん
つっづきません!
>>あむさん
こんなしょうもない続き書く時間があったらデッキ考察でも書きますわ
デッキ考察もしょうもないけど
>>コンさん
コンさんと対戦するまでゼクメインのスタンって対戦したことなかったんですよね。シビビールでてからきつくなり、今では全く勝てなくなっちゃいましたねぇ
リンクいただきますね。