【長文】思考回路は消去法【雑記】
2014年5月12日 TCG全般 コメント (1)何か手を考えるとき、様々な手段がある。
それは経験に基づくものであったり、先人の方が開拓した定石であったり。
そこまでは知識量がものをいい、それ以外を思考力で補う。
限定されているものに対する解答は簡単で、例えば一部例外を除けば
手札にアララギのみサポートがあり、場が優勢でない時は手札を消化した上でそれを使えばいい。
そのカードによっておきる選択肢が単純だから、それは簡単な事。
しかし、ハイパーによって切るカード、そしてもってくるカードなど、選択肢が多ければ多いほどそれは難しく、ハマナのリサーチなどカードジャンルすら決まらないカードはより難易度が高い。
ポケモンカードは「回すこと」「詰めること」「縛ること」が大事と考える。そして、後者にいくほど難しい。
回すこと
そのデッキを動かそうとする仕組みを構築・運用すること
例)レベルボールでとりあえずシラスを養殖する
詰めること
相手の勝ち筋を潰し、様々な場面を想定した上で確定で勝てる場面を用意すること
例)レックで前を飛ばし、後ろでエネつきライコウが構える。相手のバリはトラッシュでベンチにはジラーチ
縛ること
相手の回すことや詰めることを如何に阻害し、手を止めること
例)終盤、キャッチャーでビールを前に引き出し、Nを利用、ライコウで後ろのビールを狙撃
この3点。
回すこと に当てはまるものはそのほぼすべてを知識量に委ねられる。
デッキがどのようなロジックで動くものかを理解し、動かす事。
発展として、リソースをどのくらい序盤の回転に割り当てるべきかの判断があるが、それもきっと知識に基づくもの。
リソースをここに吐きすぎているのが敗因となってる場合、気づきにくい。
詰めること 優勢になり、最後のフィニッシュに向ける段階。
山から不必要なリソースを限りなく捨てて行ったり、手帳でサポ密度をあげ、Nによる巻き返しに耐える。若しくは手札が無くても逃れられないサイドレースの勝ちを揺るがないものにする。
これは知識に大きく依存する。山札の枚数の管理から、(特定のカードを引ける確立を)乱数を確定にするなど、詰め方がわかっているか、と詰め方が適切かが大事。
縛ること にあてはめられるものは定石などの知識量と定石を発展させた、場面場面における応用力・思考力がかなり必要になる。
ジュニアプレイヤーや(私を含む)一般的なプレイヤーだと逃してしまう難しい場面も多く、思考力が求められる。
序盤にいきなり張る白銀の鏡と、終盤に白銀の鏡を張って、Nを打つ行為では同じ白銀の鏡でも強さが全く異なる。
完全に余談ではあるが、将棋のAI(完全に思考させるものでなく、データを扱う方)がどんなものかというと、
序盤戦は定石によって展開され、終盤は演算によって存在する手をすべてを見た上で勝ちにくる(勝ちが確定したのを逃すことはなく、相手がミスをすれば逆転すらする)
なので、AIと打つ時、人と差がつくのは中盤戦で、そこは演算や知識や記憶だけでは補えない部分で、最も、思考して答えをはじき出すのが難しい場面(完全な定石が存在せず、選択肢も非常に多い)なんだな、と。
余談ここまで。
勿論勝敗は構築の段階があり、その後対戦をして結果がくるものだが、同構築で対戦した時、上手いプレイヤーと自分が一体どんな所で差ができてしまっているのだろう、とかんがえると、やはり思考が必要な場面であるのだなと。
アララギをうつべきか、Nをうつべきか、ここでハイパーで釣竿をきっていいのか、レベルでもってくるのはバリヤードかシラスか、など。その選択肢全ては終盤の詰めに関わる細かい選択なのだなと。
ダストがいれば、メガホンは出来るだけ切ってはならないし、シラスの狩り合いが起きれば釣竿は温存したい。そんな単純な事はわかるが、終盤の詰めに必要なパーツ・詰められないパーツを判断して、場を構築し、山に残すリソースを常に最適解で行動しているかと言えば、自分はNOとしかいえない。
中盤の相手のNで事故ったというのは、ボールで山の圧縮が出来たのにしなかったからかもしれないし、ハイパーでサポートを切ったからかもしれないし、釣竿を使って山の圧縮率を下げてしまったからかもしれない。
結果としてNで事故ってしまってしまったのかもしれないし、構築が悪かったのかもしれないが、自分の選択が全て正しく、1手1手を他の手と比較してこれが正解であるのか、と自信をもって言えるか、と言われればそれはNOとしか言えない。
それは運ではなく、実力だ。
でも、私は追い詰められた終盤、細くとも勝ち筋を見出し、巻き替えすのだけはそこそこの自信がある。
それを何故かとかんがえると、何かを思考するとき私は消去法なのだなと。
中盤では終盤まで見据える手をとてつもなく多いが、終盤の押されている場面では これをしたら負ける という手が明確で、
絶対にありえない手を潰していくとできる事(わるあがき)はとても限られている。
先ずは相手の詰めを邪魔する手段を考え(EXは死んだらダメだからベンチに下げよう)、それが無理ならば相手の状況を都合のいいように解釈する(あいつきっとエネ手札になくて次なぐれないぞ 等)そうした上で、残された最良の手を選ぶだけなので、とても簡単なんだなと。
確立にして、成功率が3%の手だとしても、それが最良と思える手で3%で勝てるなら私は諦めずにその手を打つ。
しかし、中盤戦のプレイスキルや、リソースの管理が上級者プレイヤーと話ながらプレイしていると、とても中盤戦におけるスキルに差があるんだなと思った日曜。
序盤は対戦数(知識)がものをいい、中盤は経験と高度な思考が必要で、終盤は思考が必要であるな、と。終盤(追い詰められてる時)は得意だが、中盤のスキル差がまだまだあり、練習で補える部分ではあるが、どのように差があるのか理解した上で練習しないと、上達するのは序盤だけで中盤のスキルはあがらないのかなと。消去法も思考する上で必要だが、それだけだと中盤戦が甘くなってるなと。、
運で片付けてしまうのはもったない。多少の何かが全てに関わり、最後につながってくる。それは本当に運だったのかな。
けるびんは言った
「事故は運じゃない、全てはバタフライ(効果)。」(※嘘です)
書きたいことを書いただけの駄文。
殴り書きだから文章構成めちゃくちゃでわろた
それは経験に基づくものであったり、先人の方が開拓した定石であったり。
そこまでは知識量がものをいい、それ以外を思考力で補う。
限定されているものに対する解答は簡単で、例えば一部例外を除けば
手札にアララギのみサポートがあり、場が優勢でない時は手札を消化した上でそれを使えばいい。
そのカードによっておきる選択肢が単純だから、それは簡単な事。
しかし、ハイパーによって切るカード、そしてもってくるカードなど、選択肢が多ければ多いほどそれは難しく、ハマナのリサーチなどカードジャンルすら決まらないカードはより難易度が高い。
ポケモンカードは「回すこと」「詰めること」「縛ること」が大事と考える。そして、後者にいくほど難しい。
回すこと
そのデッキを動かそうとする仕組みを構築・運用すること
例)レベルボールでとりあえずシラスを養殖する
詰めること
相手の勝ち筋を潰し、様々な場面を想定した上で確定で勝てる場面を用意すること
例)レックで前を飛ばし、後ろでエネつきライコウが構える。相手のバリはトラッシュでベンチにはジラーチ
縛ること
相手の回すことや詰めることを如何に阻害し、手を止めること
例)終盤、キャッチャーでビールを前に引き出し、Nを利用、ライコウで後ろのビールを狙撃
この3点。
回すこと に当てはまるものはそのほぼすべてを知識量に委ねられる。
デッキがどのようなロジックで動くものかを理解し、動かす事。
発展として、リソースをどのくらい序盤の回転に割り当てるべきかの判断があるが、それもきっと知識に基づくもの。
リソースをここに吐きすぎているのが敗因となってる場合、気づきにくい。
詰めること 優勢になり、最後のフィニッシュに向ける段階。
山から不必要なリソースを限りなく捨てて行ったり、手帳でサポ密度をあげ、Nによる巻き返しに耐える。若しくは手札が無くても逃れられないサイドレースの勝ちを揺るがないものにする。
これは知識に大きく依存する。山札の枚数の管理から、(特定のカードを引ける確立を)乱数を確定にするなど、詰め方がわかっているか、と詰め方が適切かが大事。
縛ること にあてはめられるものは定石などの知識量と定石を発展させた、場面場面における応用力・思考力がかなり必要になる。
ジュニアプレイヤーや(私を含む)一般的なプレイヤーだと逃してしまう難しい場面も多く、思考力が求められる。
序盤にいきなり張る白銀の鏡と、終盤に白銀の鏡を張って、Nを打つ行為では同じ白銀の鏡でも強さが全く異なる。
完全に余談ではあるが、将棋のAI(完全に思考させるものでなく、データを扱う方)がどんなものかというと、
序盤戦は定石によって展開され、終盤は演算によって存在する手をすべてを見た上で勝ちにくる(勝ちが確定したのを逃すことはなく、相手がミスをすれば逆転すらする)
なので、AIと打つ時、人と差がつくのは中盤戦で、そこは演算や知識や記憶だけでは補えない部分で、最も、思考して答えをはじき出すのが難しい場面(完全な定石が存在せず、選択肢も非常に多い)なんだな、と。
余談ここまで。
勿論勝敗は構築の段階があり、その後対戦をして結果がくるものだが、同構築で対戦した時、上手いプレイヤーと自分が一体どんな所で差ができてしまっているのだろう、とかんがえると、やはり思考が必要な場面であるのだなと。
アララギをうつべきか、Nをうつべきか、ここでハイパーで釣竿をきっていいのか、レベルでもってくるのはバリヤードかシラスか、など。その選択肢全ては終盤の詰めに関わる細かい選択なのだなと。
ダストがいれば、メガホンは出来るだけ切ってはならないし、シラスの狩り合いが起きれば釣竿は温存したい。そんな単純な事はわかるが、終盤の詰めに必要なパーツ・詰められないパーツを判断して、場を構築し、山に残すリソースを常に最適解で行動しているかと言えば、自分はNOとしかいえない。
中盤の相手のNで事故ったというのは、ボールで山の圧縮が出来たのにしなかったからかもしれないし、ハイパーでサポートを切ったからかもしれないし、釣竿を使って山の圧縮率を下げてしまったからかもしれない。
結果としてNで事故ってしまってしまったのかもしれないし、構築が悪かったのかもしれないが、自分の選択が全て正しく、1手1手を他の手と比較してこれが正解であるのか、と自信をもって言えるか、と言われればそれはNOとしか言えない。
それは運ではなく、実力だ。
でも、私は追い詰められた終盤、細くとも勝ち筋を見出し、巻き替えすのだけはそこそこの自信がある。
それを何故かとかんがえると、何かを思考するとき私は消去法なのだなと。
中盤では終盤まで見据える手をとてつもなく多いが、終盤の押されている場面では これをしたら負ける という手が明確で、
絶対にありえない手を潰していくとできる事(わるあがき)はとても限られている。
先ずは相手の詰めを邪魔する手段を考え(EXは死んだらダメだからベンチに下げよう)、それが無理ならば相手の状況を都合のいいように解釈する(あいつきっとエネ手札になくて次なぐれないぞ 等)そうした上で、残された最良の手を選ぶだけなので、とても簡単なんだなと。
確立にして、成功率が3%の手だとしても、それが最良と思える手で3%で勝てるなら私は諦めずにその手を打つ。
しかし、中盤戦のプレイスキルや、リソースの管理が上級者プレイヤーと話ながらプレイしていると、とても中盤戦におけるスキルに差があるんだなと思った日曜。
序盤は対戦数(知識)がものをいい、中盤は経験と高度な思考が必要で、終盤は思考が必要であるな、と。終盤(追い詰められてる時)は得意だが、中盤のスキル差がまだまだあり、練習で補える部分ではあるが、どのように差があるのか理解した上で練習しないと、上達するのは序盤だけで中盤のスキルはあがらないのかなと。消去法も思考する上で必要だが、それだけだと中盤戦が甘くなってるなと。、
運で片付けてしまうのはもったない。多少の何かが全てに関わり、最後につながってくる。それは本当に運だったのかな。
けるびんは言った
「事故は運じゃない、全てはバタフライ(効果)。」(※嘘です)
書きたいことを書いただけの駄文。
殴り書きだから文章構成めちゃくちゃでわろた
コメント
とても参考になりました♪
これからも記事を拝見したいので、リンクさせて頂きました。
よろしくお願いします☆